ちいさいいもうと

 事実は小説より奇なり。

 こんな出来事は、事実だからこそ信じるほかはなく、もしもこの出来事をそのまま小説に書いたら、「もっとリアリティーのあるストーリーを考えられないのか!」と、読者に呆れられてしまうだろう。

 そんな出来事が、人生には実際に起こり得るのだった。

 エッセイは、起こった出来事をできるだけありのままに書くジャンルだが、この出来事をそのままエッセイに書くには、なかなかに勇気が必要である。

 事実をベースにしながらも、ぼかすべきところはぼかして、整理しながら文章にするなら、それはもはやエッセイではなく、私小説となる。

 長いことエッセイの世界にいたわたしだったが、ことしは、私小説というジャンルが存在する意味が、つくづくと身に染みて分かったのだった。

 こんなことを書くと、「いったい何があったのだ。もったいぶるのもいい加減にしろ」と思う向きもあるかも知れない。

 いま言えるのは、人生とは、じつに厄介なものだということ。

 そして、その厄介な出来事のなかから、かけがえのない真実が、宝石のように転がり出ることもある。

 この夏から秋にかけて、わたしが見舞われた出来事によって、わたしは、ここ20年ほど少し疎遠になっていた5つ年下の妹と、いつもふたりで遊んでいた小学生のころのように、再び親しく語り合うことができたのだった。

 妹もまた、ここ20年はわたしに距離を感じていたという。

 けれども妹は、幼いころに闇が怖くて眠れなかった夜に、わたしが言った言葉を覚えていてくれた。

「両手を組んでお腹のうえに置いてごらん。そうすると、気持ちが落ち着いて眠れるんだよ」

 わたしもまた、幼いころの妹の姿を記憶していた。

 親に怒られ、おしおきとして暗い部屋に入れられた妹が、泣きわめくこともなく、自分で電灯から下がった紐を引いて、灯りを点けたのだった。

 同じように叱られると、わたしは泣き、「ごめんなさい、ごめんなさい」と、ひたすらに謝ったものだった。

 まだとても小さいのに、妹は自分で灯りを点けて、部屋の真ん中に静かに座った。その姿が、とてつもなく凛としたものに見えて、叱られた妹はどうしているだろうと、おしおき部屋を覗きにいったわたしの目に、鮮やかに焼きついた。

 妹は看護師だが、この9月1日からは、看護学校の教員となった。

 病院勤務のなかで、手術室などで倒れてしまった看護学生をケアしていたことが認められ、本格的に実習をサポートする教員として働くことになったのだという。

 奇しくも同じ日に、わたしは保育士養成校の教員となった。

 看護と保育。

 久しぶりに親しく話すようになったわたしと妹に、運命は何という不思議な偶然をプレゼントしてくれるのだろう。

 病んだひとと、幼い子どもと。

 寄り添うひとの温かさが必要なのは、どちらも同じかも知れない。

 妹と、再び並んで歩き出したような気がして、わたしは嬉しくてたまらない。

 写真は大学の花壇で。

 残り少ない秋の日に、夢中で蜜を吸うヒメアカタテハ。