あらゆる出来事には裏と表があり、不運と思われる事柄のなかにも、小さな幸いを見つけることがあります。
啓蟄の翌日の3月7日、「ワームムーン」とも呼ばれる満月の日に、父が体調を崩して緊急入院をしました。
88歳と高齢ですが、好奇心は衰えることなく、日々、家のまわりの景色をSNSに投稿しては、楽しんでいた父でした。その日の満月も、さぞかし楽しみにしていただろうと思うと、突然の事態に胸が痛みました。
父が入院すると、ひとり残された母を見守る必要が生じました。
コロナウイルスが猛威をふるうようになってから、父母とは長時間での接触を控えるようになっていました。
久しぶりに泊まり込んだわたしに、母はおしゃべりが止まりません。父の入院は、もちろん心配な出来事ですが、母と語り合える時間がとれたことは、間違いなく小さな幸いだったのです。
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父の入院から数日が過ぎ、病院から回復傾向にある旨が知らされて、少しだけ落ち着きをとり戻したわたしは、見るともなしに父の書棚を眺めました。
ぎっしりと詰め込まれていた書籍の多くは、わたしが実家に残してきたものでした。父自身も、かなりの本を所有していたはずですが、いまの住まいに引っ越すに当たり、わたしの本を優先して運んでくれたようです。
そしてそこには、ここ何年と探していた1冊が、確かに並んでいたのでした。
空き家になった実家をとり壊す前に、「必ずここにあるはずだ」と思い、何度、探しに行ったことでしょう。
探しても、探しても、ないはずです。「これは大事なものに違いない」と察した父が、先に運び出していたのですから。
実家を解体したのは数年前。コロナウイルスのパンデミックの最中でした。父母とは長時間の接触を避けていたために、その1冊が、すでに父の書棚に運ばれていたことに、わたしは気づかずにいたのでした。
その1冊とは、写真家の星野道夫さんの『アラスカ 光と風』(六興出版)でした。
言わずと知れた名著です。
18歳でアラスカに行くと決め、それを実現させた星野さんの旅を、ページを繰るのももどかしく追体験した読者は多いでしょう。わたしも、そのひとりでした。
『アラスカ 光と風』が出たのは1986年。
そのころのわたしは、自然や昆虫にまつわるエッセイを書き始めて、地元の新聞などに投稿するようになったところでした。
エッセイは事実を記す文学です。アラスカは、日本の読者にとっては非日常の世界。星野さんの紡ぐ言葉は、ノンフィクションでありながら雄大なファンタジーとして、読者を魅了しました。
いっぽう、わたしは岩手の自然を見つめながらエッセイを書くことにこだわっていました。
日本にいながら、日本の読者に、読むに値する言葉を綴るには、どうしたらいいのか……。
悩んだ結果、宮澤賢治の言葉を引用しながらエッセイを綴るようになったのでした。賢治は、岩手の自然を見つめながら文章を書くことの先輩だったからです。
本気でエッセイを書こうと決めたわたしは、自然を見るときの視点を確かなものにしたくて、1987年に母校である岩手大学に戻り、昆虫学を学び直しました。
そうして1989年、はじめてのエッセイ集『虫のつぶやき聞こえたよ』(白水社)を出すことができたのです。
いまでは女性の虫好きも珍しくはありませんが、当時は、「女のひとなのに虫が好きなのですか!」と、とても驚かれました。そのもの珍しさと、やはり先輩エッセイストの高橋喜平さんの推薦もあって、『虫のつぶやき聞こえたよ』は1990年、第38回日本エッセイストクラブ賞をいただきました。
岩手大学の昆虫学研究室あてに1通の手紙が届いたのは、その年の暮れも押し迫ったころでした。
真っ白い封筒に、丸みのある柔らかな文字。なかにはノートを切りとって便せんの代わりにした紙が2枚、ていねいに三つ折りにされて入っていました。
虫のつぶやき聞こえたよ、読みました。 何か感想文を書きたくなり、筆をとりました。乱筆お許しください。 自分はアラスカで暮らしながら自然の写真を撮っている者ですが、毎年日本に帰ると、さて今年は何の本を持って帰ろうかと1日本屋で本をあさります。澤口さんの本も、その中で手にした1冊でした。しかしアラスカに帰る前に読んでしまいました。
そう、差出人は星野道夫さんでした。
手紙は、エッセイから感じられる星野さんのお人柄そのままに、温かくも率直に綴られていました。
とても気持ちのいいエッセーでした。それぞれの文章が好きですが、とりわけ雪虫がよかったです。自分はいつも大きな自然ばかりに目を奪われがちですが、新しい風を吹き込まれたような思いです。 私たちの身のまわりに残された、ささやかな自然を慈しむことから始めたい。 僕は、この一文がとても好きです。 また新しい本を出される予定ですか。 どうか長く書き続けていってください。 アラスカにも虫がいますので、いつかそのつぶやきを聞きにきてください。
この手紙を受けとってから、33年が経ちました。
『アラスカ 光と風』にたいせつに挟んだまま、探しても、探しても、出てこなかった手紙が、いま、ひょっこりと出てきたのは、わたしにとって、運命的にすら感じられる出来事です。
「私たちの身のまわりに残された、ささやかな自然を慈しむことから始めたい」
それは、ちょうどひと月前に出た『自然をこんなふうに見てごらん 宮澤賢治の言葉』(山と渓谷社)のなかでも、くり返し述べている事柄でした。
はじめてのエッセイ集から最新刊まで、30年あまりの時が流れても、自分が言いたいのは、どうしてもこのことしかない。わたしにとって、原点であり信念とも言える一文を、星野さんが認めてくださっていたのです。
「どうか長く書き続けていってください」
という星野さんの言葉に、わたしは応えられているでしょうか。
応えられるように、書き続けていきたいと思います。
いつか、アラスカの虫を見に出かけなければなりません。