宮澤賢治の「メメント・モリ」~「グスコーブドリの伝記」

「グスコーブドリの伝記」は、宮澤賢治が亡くなる前年の1932年に、『児童文学 第二冊』に発表された作品です。

 執筆されたのは1931年、賢治が病の床に就き、手帳に「雨ニモマケズ」を記したころと思われます。

 自分の死期を悟った賢治にとって、「グスコーブドリの伝記」は「メメント・モリ」、すなわち死を想って書かれたものに違いありません。

雑誌掲載時の挿絵を、棟方志功が描いています。

 イーハトーブの大きな森のなかに生まれたグスコーブドリは、たび重なる冷害による飢饉によって父母を失い、妹をさらわれて、天涯孤独になってしまいます。

 そんなブドリに生きる力をつけてゆくのは、てぐすという虫を飼って絹糸をとることを生業としている男であり、沼ばたけでオリザを栽培している赤ひげの男でした。

 イーハトーブにはたくさんの火山がありました。

 ブドリはやがて、火山の観測をしたり、爆発を調整したりする仕事に就きます。

 イーハトーブの海には、潮の満ち引きを利用した発電所が作られ、山々の頂上に電気を引いて、人工的に雨を降らせたり、雨のなかに肥料成分を混ぜたりすることができるようになります。

 さらわれた妹は、イーハトーブの百姓のおかみさんになってブドリのもとに現れ、ブドリにも幸せが訪れたかと思いきや、イーハトーブはまたしても、冷害に見舞われそうになるのでした。

 そこでブドリは、炭酸ガスをたくさん出す火山を爆発させ、温室効果を起こして地球を暖めようとします。最後のひとりはどうしても逃げられない、その任務を、ブドリは自ら買って出るのでした。

「グスコーブドリの伝記」は、こう結ばれます。 

そしてちょうど、このお話のはじまりのようになるはずの、たくさんのブドリのおとうさんやおかあさんは、たくさんのブドリやネリといっしょに、その冬を暖かいたべものと、明るい薪で楽しく暮らすことができたのでした。

 ブドリのいのちは、噴火とともに微塵となって、地球ぜんたいを覆い、みんなを冷害から救いました。

 自らの死を予感した賢治は、みんなを幸せにしたいという願いを、ブドリに託したに違いありません。

 ブドリは、「こんなふうに死にたい」という、賢治の分身であると言ってよいでしょう。

「てぐす」という虫を飼うため、クリの木に網をかけようとするブドリ。

 さて、賢治が亡くなったのは37歳ですが、「グスコーブドリの伝記」のなかでブドリが死ぬのは27歳です。

 賢治自身にとって27歳は、大畠ヤスさんと相思相愛の恋をしていたものの、周囲の反対によって結婚を諦めた年齢です。

 賢治はその年の4月8日に、岩手日日新聞に「やまなし」を発表しています。

『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
『クラムボンは跳ねてわらったよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』

 2匹の蟹の子どもが口にするこの有名なリフレインを、わたしは、

「恋する賢治はヤスヤスと笑ったよ」

 と読み解いています。

「クラムボン」は、「韻を踏む言葉を探す遊び」という意味の「crambo(クラムボウ)」をもじった造語で、「恋する賢治」を意味し、「かぷかぷ」というオノマトペは、恋人ヤスさんの名前と母音を同じくして、韻を踏んでいます。

 このリフレインがつぎのように続くのを、皆さまもきっとご存じでしょう。

『クラムボンは死んだよ。』
『クラムボンは殺されたよ。』
『クラムボンは死んでしまったよ………。』
『殺されたよ。』
『それならなぜ殺された。』兄さんの蟹は、その右側の四本の脚の中の二本を、弟の平べったい頭にのせながら云いました。
『わからない。』

 恋する賢治の化身であるクラムボンは、理由もよく分からないうちに、殺されて死んでしまったのです。

 ヤスさんとの未来が周囲の反対によって失われたとき、賢治は、じぶんの人生が終わったように感じたのかも知れません。

「やまなし」が新聞に発表されたのは1923年、いまからちょうど100年前のことでした。

 くり返しになりますが、そのとき賢治は27歳でした。

 したがって、「グスコーブドリの伝記」のなかでブドリが27歳で亡くなるのは、ヤスさんとの恋と無縁ではないと、わたしは思います。

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「やまなし」のあと、賢治は鉄道線路の傍らに立つ信号機の恋物語「シグナルとシグナレス」を新聞に連載します。

 ヤスさんとの恋が破れたタイミングで発表されたことから、シグナルが賢治、シグナレスがヤスさんの分身であることは、想像に難くありません。

 そのシグナルが、シグナレスに恋を打ち明けたものの、なかなか返事を得られなかったときに、口にするのがつぎのようなせりふです。

本線のシグナルはせっかちでしたから、シグナレスの返事のないのに、まるであわててしまいました。
「シグナレスさん、あなたはお返事をしてくださらないんですか。ああ僕はもうまるでくらやみだ。目の前がまるでまっ黒な淵のようだ。ああ雷が落ちて来て、一ぺんに僕のからだをくだけ。足もとから噴火が起こって、僕を空の遠くにほうりなげろ。もうなにもかもみんなおしまいだ。雷が落ちて来て一ぺんに僕のからだを砕け。足もと……」

 恋する賢治の、もうひとつの化身であるシグナルは、雷か噴火で死ぬのだと決めているようです。

 ブドリが火山の噴火とともに死ぬことは、1923年に、すでに予告されていたものに思われます。

 ◆

 27歳でヤスさんを失ってから、37歳になるまでの10年間、賢治は、どこか死んだも同然のように感じていたのかも知れません。

 せめてみんなの役に立って死にたいと、死を想いつつ、みんなの幸せを願う日々だったのでしょう。

 そんななかで書かれたのが、「グスコーブドリの伝記」でした。

 クラムボンやシグナルと同様、ブドリもまた、ヤスさんを愛する賢治の分身なのだと、わたしは読み解きます。

 賢治との恋を諦めて1924年に渡米したヤスさんが、その3年後の1927年に、27歳で亡くなったことも、賢治にとっては27歳にこだわる理由だったと思われます。

 しばしば「自己犠牲」という文脈で語られる「グスコーブドリの伝記」において、じつはブドリにも恋しいひとがいて、その最期には、天国から優しい腕が差しのべられていたと思えることは、賢治の恋を知る者の幸いではないでしょうか。

潮の満ち引きを利用した潮汐発電所を作るクーボー大博士は、盛岡高等農林学校での恩師、関豊太郎がモデルとされています。関は厳しく、大声で話すので、「雷先生」とあだ名をつけられていました。

「グスコーブドリの伝記」は、世界がぜんたい幸せであることを願う賢治の、壮大なる愛の物語です。

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 昨年から制作していたVoice&Music CD「グスコーブドリの伝記」のvol.1が、あす完成してまいります。

 音楽を聴くようにおはなしを楽しんでいただけるよう、声もまたひとつの楽器と考えて朗読しています。

 詳しくはネットショップをご覧くださいませ。