「環境」講義メモ / 日々の記録

よーいドン毛虫

 2020年の3月、世界がコロナウイルス・パンデミックに襲われてから、わたしたちの暮らしは変化を余儀なくされてきました。

 わたしの場合は対面の仕事がなくなり、その影響はいまなお続いています。

 それでも3年が経ち、感染を避ける術が周知されて、少しずつ対面での仕事が戻ってきているのは歓迎すべきことでしょうか。

 わたしもこの春からは、ある短期大学で、保育士養成課程の非常勤講師に復帰することを決めました。

 受け持つ科目は「保育内容の指導法(環境)」で、学生さんたちには、主に野外の環境を利用した保育方法について、知識や経験を深めていただくことになります。 

 これは、以前に15年ほど続けていたにもかかわらず、コロナウイルスのパンデミックに伴って、いったんは辞めた仕事でした。

 わたしの講義は、前半は教室で虫や草花について学び、後半は野外に出て実物に触れ、観察記録をつけてもらうというものでした。わたしには、実物に触れてもらうには対面での指導でなければ、というこだわりがあったのです。

 3年前、コロナウイルスの正体が見えないなか、対面での講義を続けることは困難でした。幸い、講義を代わりに受け持ってくださる先生がいらっしゃり、わたしは蟄居を決め込んだのでした。

 しかも交代してくださった先生は、対面での講義が可能となったこのタイミングで、再びわたしに代わってくださるというのです。

 わたしは、いまいちど声をかけてくださったことに感謝し、講義を再開しようと決心しました。

 保育士をめざす学生さんに、野外で活動する楽しさを伝えるというのが、わたしの講義の大まかな目的です。

 学部長からは、

「虫を見て、子どもの前で悲鳴を上げる保育士を、うちの短大からは送り出したくない」

 というご依頼をいただいています。

 確かに、子どもたちと野原を散歩したり、草花遊びをしたりするとき、どうしても目にすることになるのが、虫でしょう。

 ところが、いまの学生さんたちのなかには、虫を嫌う方が驚くほど多いのです。野外で活動するのに、虫を見ていちいち悲鳴をあげていたのでは、どうしようもありません。

 そこでわたしの授業は、主に昆虫への恐怖心を克服してもらうことに、大きな時間を割いてきました。4月に復帰したあとも、きっとそうするでしょう。

 ◆

 以前に講師をしていたときは、

「この授業では、虫を見て悲鳴を上げなくなること、毒のない虫を見分けて、手で触れるようになることを目指します。毛虫に頬ずりできるようになったら、合格です!」

 というのが、わたしの講義での第一声でした。

 教室はたちまち、学生さんの悲鳴でいっぱいになります。

「わたしは子どもが好きでこの学校に来たのに、なぜ虫を触らされるのか分かりません!」

 などと抵抗する学生さんに、わたしは言います。

「さすがに頬ずりは無理かなっ? 仕方ないなあー。それでは、手にのせるだけで勘弁してやるとしよう!」

 あまり褒められた言葉づかいではありませんが、虫を嫌う19歳と対話するには、悠長なことは言っていられません。

「だってハチに刺されたことがあるんです!」「チョウの粉でアレルギー起こりませんか?」

 口々に虫への恐怖を語り、虫を嫌うことを正当化しようとする学生さんを、1年15回の講義で、じっくりと説得してゆかなければなりません。

 嫌いなものを無理やり見せ、触らせるなんて、それはハラスメントではないのか、と言われるでしょうか。

 わたしもはじめは悩みました。しかし、不特定多数のひとに言っているわけではないのです。保育士さんを目指して短大に入ってきた以上、自然のなかで過ごす楽しさを子どもたちに伝えるべく、先入観のないこころで虫を見られることは、身につけるべき必要なスキルだとわたしは判断しています。

 ◆

 じつのところ、虫を見て平気でいられることは、子どもと関わるあらゆるおとなにとって、必要なスキルと言えます。

 わたしの経験によれば、子どもたちは本来、虫が好きです。虫を嫌悪するきっかけがなければ、子どもは虫を好きなまま大きくなれるのです。そして、虫や自然が好きだったために、絶望から救われることだって、実際にあるのです。

 好きになる可能性があるものを、まわりのおとなの影響で嫌いになってしまうとすれば、それはその子にとって、人生の損失であり人災であると、わたしは考えます。

 そのことには、短大を出て実際に保育現場に出たり、子どもが誕生して親になったりしてから、改めて気づく方もたくさんいらっしゃいます。

 卒業生から、

「もっと講義をちゃんと聞いていればよかったです」

 と言われたこともあります。

 自分で言うのも口幅ったいのですが、確かにこの講義は、ほかの学校にはあまりないのではないかと思います。

 純粋な昆虫学でも、純粋な幼児教育学でもない。子どもと虫、子どもと自然、自然とわたし、虫とわたしについて、各自それぞれに考えを深め、虫や自然を好きになることの意味を知って、嫌いな生きものをなくしてしまう。

 虫などの生きものが、あまり好きではないという方が、もしも、わたしの話をちゃんと聞いて、1年いっしょに歩いてくださったら、なにかしらの気持ちの変化は、必ずもたらされるものと信じています。

 このブログの読者にも、いっしょに歩いてみたいという方がいらっしゃるでしょうか。

 おられるとしたら、講義のつど、話した内容をここに記してゆきますので、ぜひ、お読みいただければと思います。

 ◆

 講義のはじめに、「この授業では毛虫を触ってもらうよ」と言うと、多くの学生さんはこう言います。

「毛虫を触ったら、手が痒くなるんじゃないですか?」

 わたしは、にっこり笑って答えます。

「確かに毛虫には毒のあるものもいるのですが、それはほんの一部です。毒を持たないもののほうが、ずっと多いのです」

 いささか大雑把に説明することをお許しいただければ、毛虫と言っても毛が疎らで、体の部位によって毛質や長さが違っている毛虫のなかに、痒みを起こす毒毛を持つ種類が含まれています。

 いっぽう、体じゅうに同じ長さ、同じ質感の毛が生えているものは、ほぼ無毒です。

「たとえば春の終りごろに、道を渡っているのに出くわす黒い毛虫、『熊毛虫』なんてあだ名で呼ばれているけれど、あれなどは、触るぶんにはまったく毒はないのです」

 すると学生さんは、すかさず問います。

「触るぶんには、って、食べたら毒ってことですか?」

「食べると中毒する、という説もある。詳しくは不明。でもあなた、さすがにアレ食べないでしょう?」

 べつの学生さんが手をあげます。

「どうして、毛虫を触らなくちゃいけないんですか?」

「子どもと関わるみんなには、毒のない毛虫もいることを、ちゃんと知っておいてほしいの」

「だったら触らなくても、いまの話でじゅうぶんに分かりました」

「いやいや、実際に触って、痒くならないことを確かめようよー」

「お断りしますっ!」

 ……と、学生さんとの攻防は続きます。

 ◆

 いつだったかは、こんなふうに言ってみました。

「あの黒い毛虫は、ヒトリガという蛾の幼虫です。ヒトリガの翅は、とびきり鮮やかな柄で、英語ではタイガーモスと呼ばれます」

 すると学生さんたちが、にわかに騒めきました。

「えっ、タイガーモス?」

「ラピュタ!」

「ドーラの飛行船!」

 そしてわたしは、

「え? ラピュタってジブリの? ドーラって、空賊のデカいおばさん? あの飛行船、タイガーモス号って言うの? へえーっ」

 と、目を丸くしたのでした。スタジオジブリの人気アニメ『天空の城ラピュタ』は見ていましたが、そのときは、細かい設定は記憶していなかったのです。

 19歳の学生さんたちとは、孫とも言えるほどの年齢差があります。

 ですから、彼らが知っていて、わたしが知らないことも、たくさんあります。

 教えることは、教わることなのだ、と思います。

 なかには、虫の好きな学生さんもいます。そんな子は、やっと同好の士にめぐり会えたというように、目を輝かせていろいろと話してくれます。

「道を渡る黒い毛虫、わたしは触れます! あの毛虫のお尻を、ちょん、と指でつつくと、びっくりして猛スピードで歩き出すんです! だからわたしたち、あの毛虫を『よーいドン毛虫』と呼んで遊んでいました!」

「それじゃ、さっそく、探しに行く? 外に行こう!」

 わたしが促して教室を出ようとしても、19歳たちは、すぐには立ち上がりません。

「外へ行くなら、日焼け止めクリーム塗るので待ってくださーい」

「はい、はい、待ちますよー。先に行ってるねー」

 学生さんたちと話すようになって、わたしはかなり、大らかになった気がします。

 3年ぶりの短期大学。ことしはどんな学生さんがいるのかな。

 ヒトリガの幼虫を見つけたら、そっとお尻を押してみることにいたしましょう。

 よーい、ドン! 

※この記事には、保育雑誌『ちいさいなかま』2019年4月号に掲載したエッセイ「わたしのちいさいなかま」より、一部を抜粋して収録しています。

●この記事の内容は、新刊『自然をこんなふうに見てごらん 宮澤賢治のことば』(山と渓谷社)ともリンクしています。よろしければ、あわせてお読みくださいませ。

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