日々の記録 / 絵本やエッセイ

1月の終わりに

 きょうで1月が終わりだなんて、時間の流れる速さに驚くばかりだけれど、2月にならないうちに、書いておかねばならないことがある。

 1月11日に、知人の訃報が届いた。

 ほんとうは1月1日に旅立っておられたのだが、10日を過ぎるのを待ってお知らせくださったのは、新年早々、みんなを悲しませるのを避けようという、故人と親しい方々の配慮だったのだと思う。

 闘病されていることも知らなかったわたしは、ただただ、驚いた。

 本にかかわるお仕事をされていて、宮澤賢治の恋に関心を持ってくださったことから、親しくなった。

 宮澤賢治の恋を朗読と音楽で紐解くわたしどもの「宮澤賢治 百年の謎解き」ライブには、彼女の住む関東はもちろん信州や岡山にまで足を伸ばして熱心に通ってくださった。ポイントカードを作っていたら、スタンプ10個は軽く貯まっていただろう。景品を差し上げなければ、と考えているうちにコロナ禍となりライブが開催できなくなった。

 関東で開催したうちの2回は、彼女が横浜で会場を探し、主催してくださった。その1回目は、4月7日の大畠ヤスさんの誕生日で、花咲く民家を貸し切っての開催だった。そこには、本好きさんがたくさん、たくさん招かれていて、その日、出会った方々が、いまもわたしどもの活動にこころを寄せ、応援してくださっている。

 本の雑誌『ダ・ヴィンチ』の巻頭グラビアに、俳優の中村倫也さんが書店で本を選ぶという企画が掲載されていて、あろうことか拙著『新版 宮澤賢治 愛のうた』(夕書房)を選んでくださっていたというのに、わたしはもちろん、周囲の誰もが気づかずにいたのを、半年以上が過ぎてから、故人のお仲間が見つけてくださった。

 宮澤賢治のロマンチックな童話を集めた『愛の童話集』(童心社)の巻末の解説に、大畠ヤスさんと賢治の恋が紹介されていることを見つけたのも、彼女たちだった。解説を書いたのは、『年譜 宮澤賢治伝』(中公文庫)をまとめた堀尾青史さんで、年譜には記すことのできなかった宮澤賢治の恋についての原稿を、そのまま『愛の童話集』の解説として掲載したものと推察された。

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 折しもわたしは、小説家の山本文緒さんが、がんで闘病しながら綴った日記、『無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記』(新潮社)を、年末に読み終えていたところだった。

 少しばかり忙しくて、昨年は本を読む時間がとれずにいた。それでも、この本を読まずにはいられなかったのは、その運命がわが身に降りかかったときも、自分は努めて言葉を残そうとするだろう、と思ったからだった。

 読み終えて、いちばんに感じたのは、ひとは死を覚悟したからと言って、いきなり壮大な別れの言葉を認めるわけではない、ということだった。

 山本文緒さんの日記は、こんなふうに終わっていた。

今日はここまでとさせてください。明日また書けましたら、明日。

 きょうは、きのうの続きで、ひと眠りして目覚めれば、あしたになっているだろう。

 けんめいにあしたも生きようとするひとは、あしたが来ることだけを信じている。あしたが、たとえ来なくても。

 だから最期まで、ふだんと同じ言葉で日記は続き、そして、終わっていた。

 最期まで、ふだんと同じ言葉でしか書かないのなら、ふだん使っている言葉は、どんなにかたいせつなものだろう。ふだんから、言葉をていねいに使いたいと、わたしは改めて肝に銘じた。

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 1月1日にこの世を去った知人と、最後にメッセージを交わしたのはいつだったろうと、さかのぼってみた。

 すると昨年の夏、暑い日が続いていたときに、

急に暑くなってきたので、体調に気をつけて無理せずお過ごしください。
水分補給、しっかり!

 という連絡をもらっていた。すでに彼女が闘病していたことを知らなかったわたしは、

「そろそろライブを再開しようと思っています」

 というような返事をしていた。

 彼女からは、

楽しみにお待ちしております。ではでは、また!

 と返信があり、それが別れの言葉になってしまった。

 そのあと、東京でライブをする機会があったのに、彼女の姿はなかった。わたしは、きっと用事でもできたのだろう、と思ってしまい、近況を尋ねることを怠った。まさか旅立ってしまうとは、思ってもいなかったから……。

 しかし、「まさか」はいつだって、それが起こってしまってから、言い訳のように使う言葉なのだった。

 山本文緒さんの「明日また書けましたら、明日」という最後の文と、彼女のメッセージ、「ではでは、また!」が重なる。

 ひとと会って別れるときも、たまにメッセージを交わすときも、いつだって「ではでは、また」と言っている。

 けれども実際には、再会が叶わぬときがある。

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 だから、ふだん書いている文や、使っている言葉は、いつだって、永遠の別れの挨拶になり得るのだ。

 いつでも、きょうが最後かも知れないと思ってひとに接し、感謝をもって言葉を選びたい。

 1月の終わりの日に。