新しい年に思うこと~書く楽しみを学生さんたちに

 ことしは2月10日が旧暦のお正月だそうです。

 新暦のお正月には、1月1日に能登地方で大きな地震があり、新年のごあいさつをしそびれてしまいましたので、旧暦のきょう、改めて新しい年への思いを記しておこうと思います。

 昨年の9月1日から、盛岡大学短期大学部に准教授としてお世話になり、身辺の状況も大きく変わっています。

 絵本やエッセイの原稿を書いたり、宮澤賢治の作品を読み解いたり朗読したりすることは、自身のライフワークとして、これまで通り、これからも続けてゆこうと思っています。

 しかし9月からはそれにも増して、「若い方たちに何を伝えられるか」を、真剣に考えるようになりました。

 教えているのは、保育士を目指す学生さんたちです。

 講義を受け持つ以上、課題を出したり試験をしたりして点数をつけ、成績をつけなければならないのですが、わたしはどうしても、優秀か否かという価値観でひとを分けることが苦手です。

 優秀って何だろう、と考え込んでしまうのです。

 9月から考えて、いま、ひとつだけ確かに言えるのは、成績が悪い……つまり何かが苦手な学生がいるのなら、

「どうすれば苦手じゃなくなるのか、いっしょに考えよう。わたしの知っている知識や経験で役に立つものがあれば、シェアするね」

 ということです。

 だから成績って、ほんとうは結果じゃなくて、これから何が必要なのかを示すカルテのようなものだよなあ……とも思うのです。

 そして、わたしの教科を苦手な学生さんにとっては、たぶんとても迷惑な話かも知れないのですが、苦手だからこそ、これからも研究室に質問に来て! と思ってしまいます。

 もちろん、わたしが教える子どもと自然にまつわるプログラムが好きだった学生さんがいれば、いつでもウエルカム! もっともっと自然を好きになって、観察力を養って、子どもたちの姿を的確にとらえられる保育士さんになってほしいと願わずにはいられません。子どもたちも自然な存在ですもの。

 いったんついてしまった成績は成績表から消すことはできないけれど、それは過程に過ぎず、最終的にはみんなに「優」や「秀」をつけるのが理想。

 だとすれば、それは卒業や保育士資格についても同様で、

「仮に保育士になれなかったとしても、あるいは卒業せずに他の道に進むひとがいたとしても、わたしに接した短い時間のなかで、人生に役立つスキルを伝えたい」

 と考えてしまいます。

 卒業は結果ではなく、通過ポイントに過ぎません。卒業してもしなくても、保育士になってもならなくても、人生はまだまだ続くのです。

 4月からは、何人かの学生さんと通年で活動する「ゼミ」が始まります。

 大学の多くの研究室では、学生さんにも研究テーマを与えて論文を書かせていることでしょう。4年制の大学であれば、それが卒業の要件です。

 しかし短大では、研究や論文は卒業の要件ではありません。研究をして論文を書いたり、保育士以外の資格を取得したい学生は、4年制に編入することができます。

 ならば……と考えに考えて、わたしは日々の出来事や思いを文章にするエッセイゼミを開講することに決めました。朗読による発表会もします。

 これは決して、短大で研究や論文の指導をしているゼミを否定しているのではないのです。

 ただ、わたしに何ができるだろうと真剣に考えたときに、見よう見まねで研究や論文の指導をするよりも、人生に役立つスキルを確実に伝えられるのはエッセイだ! と、思い至ったというわけです。わたしはプロとして、文章の仕事をしてきたのですから。

 学生さんの文章も、どしどし新聞に投稿したり、賞に応募したりと、機会をつかまえて活字になる楽しみを味わってもらおうと思います。

 写真はオオカメノキの冬芽です。