祖母の教え
祖母の教え

祖母の教え

 わたしは静かに怒り続けていたのだと思う。

 その原因は主にプライベートな出来事であって、公にすべき内容でもない。しかし、心のなかには常にあって、暗雲のように垂れ込めている。そのためSNSなどのつぶやきには、ふつふつと湧き上がる怒りが滲む場合があり、読む人に違和感を与えてきたのかも知れなかった。

 かつて編集者との会話のなかで、こう問われた覚えがある。

「いったいあなたは、何に怒っているんですか」

 この問いに対する答えは、表面的にはそのときどきにいろいろあった。だからわたしはその都度、自分は外的な要因に対して抗っているのだと考えてきた。

 ◆

 怒りの原因が、家庭に内在するとはっきりと自覚したのは、2023年の夏だった。実の親が、長年の嘘によってわたしと妹を操り、仲違いさせてきたという事実が露呈した。その経緯については後述するが、当時63歳になろうとしていたわたしと、57歳になっていた妹は、本来なら仲良く楽しい時間を過ごせたはずの、失われた25年を思って泣いた。

 父母は、長女であるわたしに老後の世話を頼むべく、25年ほど前から隣接した家屋に住んでいた。いっぽう妹は、20代ですでに親元を出て、故郷を離れて暮らしていた。それでもお互いに独身だった20代の10年ほどは、互いに行き来をして仲良くしていた。

 それ以前もわずかに鳴っていた不協和音が本格的なものになったのは30代の半ばになってから……いまにして思えば父母が隣家に住むようになったあとで、わたしは父母に、

「妹の言うことと、あなたたちの言うことが微妙に違っているのはどうしてなのだ」

 と問うた日を、鮮明に記憶している。両親は、

「我々の言うことが正しいに決まっているじゃないか、嘘を吐いているのはあいつのほうだ」

 と妹の名前を出して言ったのだった。わたしはその答えに釈然とせず、

「それぞれ本人から、自分の耳で聞いた話だけを信じることにする」

 と答えたのだが、それで父母と妹の言動の差が埋まるわけではなかった。どうしてその違和感を、徹底的に明らかにしようとせず、放置してしまったのか、それがいまでも悔やまれる。

 同時に両親は妹に、

「あいつは暴力をふるう。子どもたちのことも虐待している」

 という、わたしについての嘘を吐き続けていた。

 妹は正義感の強い性格だから、何とかしてわたしを矯正しようと悩んだ。結果としてわたしは、身に覚えのない注意を妹から受けるようになった。注意と言ってもデリケートな話題ゆえ、妹はオブラートに包んだような会話でわたしを正そうと努力していた。近年では嘘がエスカレートし、父母自身がわたしに暴力をふるわれたと訴えるようになったそうで、妹が「自分の胸に手を当ててみて」などと、反省を促す電話をかけてくる日もあった。

 妹はなぜ、姉であるわたしに懐疑的な態度をとり、ときに強く抗議してくるのだろう。

 わたしは妹を苦手に思うようになった。父母にその気持ちを打ち明けると、父は言った。

「あいつがヒステリーだからさ。これからは直に電話に出るのを止めればいい。俺たちが間に入って話を聞いてやる」

 嬉々としてそう言った父の顔を、わたしは忘れられない。

 かくして、姉は虐待、妹はヒステリーというレッテルを貼り、父母はその間に立って、自分たちこそが正常なのだと、姉妹を欺いてきたのだった。

 ◆

 2023年の夏に、父母が築いてきた嘘が崩壊した。

 その経緯については後述するが、父母はわたしの隣に住んでいられなくなり、運送業者を頼んで引っ越していった。

 最後に父が、わたしを指差して言った言葉が、強く記憶に残っている。

「あなたのような正常な感覚の持ち主に、俺のことは理解できない」

 父には、自分が正常ではないという自覚があったのだ、と思った。

 父はそのとき89歳だった。せめて、このあとの人生を嘘なく生きて欲しい。そう願わずにはいられなかった。

 けれども父は、引っ越し先ですぐにSNSを開始。わたしに「追い出された」と言い募るようになった。知り合いを積極的にフォローしては、いかにわたしが残虐な言動で自分たちを引っ越しに追い込んだかを訴える。矛先はわたしの息子、つまり父にとっては孫にまで向かっている。信頼してきた祖父母の豹変を、目の当たりにした息子たちの悲しみは深い。

 わたしも、息子たちも、ここまで公に反論することなく、耐えてきたつもりである。

 ならばなぜ、いま、このような文章を書いているのか。

 ごく直接的な理由は、この問題をオブラートに包んだままでは、SNSなどで発信するわたしの言葉が、誤解を招く可能性があるという事実だ。

 前の記事でも触れたように、わたしはこの1月に、ここ3年ほど勤めた職場を辞める。退職に至る過程で、大学政治というものに触れ、少なからず疑問を感じたのは否めないが、その点についてはすでに今後の方針も固め、フリーランスとしていっそうの努力をするほかはないと考えているところである。

 家族内での親子関係は、組織の上下関係と似たところがあり、さらに言うなら1月に起こった国政の急変もあいまって、家族の問題について考えを述べても、それは職場での出来事あるいは国政を揶揄しているのではないか、という読みが成立してしまう。むろんそれらの多様な読みは、いずれにも当てはまる事実が存在するゆえに成立するのだから、読み手が取捨選択すればよい問題なのかも知れない。

 しかし少なくとも仕事関係の方々に、いつまでも不満を述べていると思われるのは本意ではない。

 そしてこのような文章を書くかすかな願いは、嘘を吐き続けてきた父が、年下ゆえにわたしよりも大きな影響を受けたと推定される妹や、孫たちまで悪者にしてきた自身の罪に対して、きちんと謝罪してから、その人生を全うすべきではないのか、という思いである。

 また、多くの子どもたちが、同様の被害に遭っている可能性があると考えたとき、わたしたち姉妹が経験してきた事柄を文章化することにより、たとえ親でも逃げてもいい場合はあるのだと、ひとつの道を提示する効果があるのではないかと考えている。

 ◆

 わたしは幼いころ、日中を祖母の家に預けられていた。そしてわたしは祖母から、

「嘘を吐いてはいけない」

 と、厳しく教えられたと感じている。その言葉が、いつ、どのような状況で祖母の口から出たのか、明確に記憶しているわけではない。あるいは言葉として伝えられたものではなく、祖母の生き様を見るなかで、わたしが勝手に感じとったメッセージなのかも知れない。

 ともかくわたしは、気がつけば嘘を吐かずに生きたいと願うようになっていた。祖母がわたしを預かっていたのは、およそ60年前のことである。祖母はそのころ、すでに何かを感じとっていたのだろうかと、思いを馳せずにはいられない。

〈つづく〉