©Tamami Sawaguchi 引用および2次使用される場合は必ず事前にお知らせください。
宮澤賢治は、母音で韻を踏むことを意識しており、その作中に、相思相愛の恋人ヤスさんの名前を記そうとしていました。
20年近く賢治の恋を読み解いてきたわたしの、これがひとつの答えです。
賢治が恋を記していたからと言って、その内容が事実であるとも、自身の体験であるとも限らない。そう考える読者もおられるでしょう。
賢治の恋を、年譜にも載せられる事実として証明するには、ふたりが訪れた場所を特定するなど、実証的な調査が必要なのに違いありません。
しかし、賢治がその作中に韻を踏んだ文章を織り交ぜていたことは、どなたにも検証可能な明らかな事実です。賢治は自らの作品に恋を記しただけではなく、その証拠を、作中に忍ばせていたのだと、わたしには思われます。
母音で韻を踏む言葉に恋を隠す
くり返しになりますが、「クラムボン」は「韻を踏む言葉を探す者」すなわち「恋する賢治自身」という意味を持つと、わたしは考えます。
そして「かぷかぷ」の「かぷ」が、ヤスの名と母音を同じくするという事実からは、
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
という文が、
「恋する賢治はヤス、ヤスと笑った」
という意味を隠し持つことを意味します。
「かぷ」がくり返されて「かぷかぷ」というオノマトペになっている事実からは、先に紹介した心象スケッチ「マサニエロ」を思い出します。
(なんだか風と悲しさのために胸がつまる) ひとの名前をなんべんも 風のなかで繰り返してさしつかへないか
風は英語で「wind(ウインド)」です。その文字列のなかに「in(イン)」という言葉が含まれることは、決して偶然ではないのでしょう。
賢治は韻のなかで、ヤスの名前をくり返していたのです。
さらに、賢治はヤスさんの名前と同じ母音で韻を踏む言葉を、さまざまな箇所に用いています。
たとえば花巻農学校を辞めたあとの賢治は、農村を豊かにするべく「羅須地人協会」を設立します。「羅須」とはどういう意味かと問われた賢治は、
「花巻を花巻と呼ぶようなもので、深い意味はない」
と答えたと伝えられますが、その母音は「a-u」です。わたしには、賢治自身を表す「修羅」の「羅」に、ヤスの「ス」に漢字を当てて組み合わせたものに思われます。「羅須」は、「賢治とヤス」という意味を含むことになるのです。
そして修羅と言えば、「春と修羅」の「春」もまた「a-u」の母音を持ちます。修羅が賢治自身を指すとすれば、「春と修羅」というタイトルは「ヤスと賢治」という意味を併せ持つことになります。
母音に注目して言葉の意味を見直してみると、生前の賢治が自費で出版した『春と修羅』は、いっそう重要な意味を持つことが分かります。
母音を確かめながら『春と修羅』を読む
そのタイトルに「恋」という文字が入る心象スケッチ「恋と病熱」は、『春と修羅』の「序」によって指定された真の巻頭とも考えられる、重要な作品でした。
ここでもういちど、その母音を見直してみましょう。
恋と病熱 けふはぼくのたましひは疾み 烏さへ正視ができない あいつはちやうどいまごろから つめたい青銅の病室で 透明薔薇の火に燃される ほんたうにけれども妹よ けふはぼくもあんまりひどいから やなぎの花もとらない
「恋」という言葉の母音は「o-i」で、妹の名「トシ」と同じです。したがって「恋と病熱」は、「トシと病熱」という意味を併せ持ちます。
また、ここで「烏」は、単に漆黒の鳥という意味ではありません。「烏」の母音は「a-a-u」であり、3文字ではありますが「ヤス」と同じです。賢治はこの日、愛しいヤスさえ正視ができないのです。
さらに「やなぎ」は「a-a-i」で、「愛」と同じ母音を持ちます。「やなぎの花」は、賢治にとって愛を象徴する花であったでしょう。
母音で韻を踏むことを意識していた賢治は、このようにして、言葉に二重の意味を持たせていたのだと、わたしは考えます。
「恋と病熱」のつぎに収録されるのは、表題作でもあり、先ほど述べたように「ヤスと賢治」という意味を併せ持つ「春と修羅」ですが、そのなかに、
すべて二重の風景を
という1行が挿入されていることに、注目したいと思います。賢治の心象スケッチは、ひとつには「韻」によって、「二重」の意味を持っているのでした。
「小岩井農場」は恋の心象スケッチだ
こうして母音を確かめながら『春と修羅』に収められた作品を見直してゆくと、美しい長編スケッチ「小岩井農場」が、これまで以上に重要な意味を持っていることが浮かび上がってきます。
恋を記した心象スケッチは、そのほかの作品に比べて、明らかに意識的に韻を踏む傾向にあります。
そのことは、「小岩井農場」の冒頭からも確かめられます。
小岩井農場 パート一 わたくしはずゐぶんすばやく汽車からおりた そのために雲がぎらつとひかつたくらゐだ けれどももつとはやいひとはある 化学の並川さんによく肖たひとだ あのオリーブのせびろなどは そつくりおとなしい農学士だ さつき盛岡のていしやばでも たしかにわたくしはさうおもつてゐた このひとが砂糖水のなかの つめたくあかるい待合室から ひとあしでるとき……わたくしもでる (後略)
冒頭2行は、「ずいぶん」「すばやく」「くも」「くらいだ」が、いずれも頭に母音「u」を持ち、「汽車」「ぎらっと」「ひかった」が母音「i」を持って、文末は「た」で揃えているため、声に出して読めば分かりますが、リズムがあります。
さらに「化学」「並川」「さん」の母音「a」の重なりは、賢治が意図して作り出したものです。なぜなら盛岡高等農林で賢治に化学を教えたのは「古川仲右衛門」だったからです。
賢治はのちに、『春と修羅』に鉛筆で添削を加えたときに、並川を古川に直していますが、それは決して、並川が誤記であったことを意味するものではありません。
ほんとうは古川なのに、韻を踏むためにあえて並川にしたことが、賢治にとって重要だったのです。そのためにも、実際には古川であったことも、書きとめておく必要がありました。
並川さんのあとも、「オリーブ」「そっくり」「おとなしい」「農学士」と頭を「o」で揃えるなどして韻を作り、「ひとあしでるとき」「わたくしもでる」と言葉を重ねます。
そもそも「小岩井」はローマ字で書くと「koiwai」で、「koi」すなわち「恋」と、「ai」すなわち「愛」を含むことを、賢治は意識していたものと思われます。
「からまつ」にこめた愛
「小岩井農場」が、恋人ヤスさんへ贈られたものだと考えられる理由は、「からまつ」という言葉へのこだわりです。
「パート二」に、
「からまつの芽はネクタイピンにほしいくらゐだし」
という表現があり、「パート七」には、
「から松の芽の緑玉髄(クリソプレーズ)」
「これらのからまつの小さな芽をあつめ/わたくしの童話をかざりたい」
との表現が見られます。
「クリソプレーズ」は、美しい緑色をした玉髄のなかまで、研磨されて宝石としても扱われます。
カラマツはマツでありながら秋には落葉します。したがって春には新たに芽吹くのですが、明るい緑色をした松葉の小さな束が、枝いっぱいに点々と散りばめられて伸びてくるさまは、ほんとうに愛おしいものです。
ですから賢治が、こんなふうにカラマツの新芽を愛しく表現することは、大いに共感するところです。
ところがその母音を見ると、その愛しさは、いっそうはっきりとしてきます。
「まつ」は「a-u」、「からまつ」は「a-a-a-u」で、ヤスと母音を同じくします。
さらに、カラマツの学名は「ラリックス」で、あいだに文字を挟みはしますが、「ラ」ではじまり「ス」で終わる、つまり「ラス」という文字を含む言葉になり、やはり「a-u」を含みます。
「からまつ」は、どうしても「a-u」につながる言葉なのです。賢治はその新芽の愛しさを、ヤスさんに重ねているものと思われます。
そしてこの心象スケッチのラストで、ラリックスはくり返されます。
ラリツクス ラリツクス いよいよ青く 雲はますます縮れてひかり わたくしはかつきりみちをまがる
「青」は、しばしば恋情を表現するのに使われる色で、ヤスさんを描写したと思われる心象スケッチ「春光呪咀」にも登場します。「春光呪咀」は「春と修羅」のつぎに収録された作品で、「恋と病熱」とともに真の巻頭3部作とも呼べる重要な作品です。
また「雲」は、「恋愛」を意味することがあります。その高まりを表す「ますます」が、母音「a-u」のくり返しであることも、計算され尽くした結果でしょう。
賢治はここで、ヤスさんがどんなにか愛しくて、恋がいよいよ深まっていることを、韻に託して表現しているものと読み解けます。
「小岩井農場」のラスト1行で、賢治がかっきりと曲がってゆく先は、ヤスさんとの恋に突き進む方向であったと、わたしは考えます。
黒いインバネスは男性なのか
「小岩井農場」で、最も明瞭に韻を踏むのは、「パート二」です。
少し長いのですが、全文を引用しましょう。
パート二 たむぼりんも遠くのそらで鳴つてるし 雨はけふはだいぢやうぶふらない しかし馬車もはやいと云つたところで そんなにすてきなわけではない いままでたつてやつとあすこまで ここからあすこまでのこのまつすぐな 火山灰のみちの分だけ行つたのだ あすこはちやうどまがり目で すがれの草穂もゆれてゐる (山は青い雲でいつぱい 光つてゐるし かけて行く馬車はくろくてりつぱだ) ひばり ひばり 銀の微塵のちらばるそらへ たつたいまのぼつたひばりなのだ くろくてすばやくきんいろだ そらでやる Brownian movement おまけにあいつの翅ときたら 甲虫のやうに四まいある 飴いろのやつと硬い漆ぬりの方と たしかに二重にもつてゐる よほど上手に鳴いてゐる そらのひかりを呑みこんでゐる 光波のために溺れてゐる もちろんずつと遠くでは もつとたくさんないてゐる そいつのはうははいけいだ 向ふからはこつちのやつがひどく勇敢に見える うしろから五月のいまごろ 黒いながいオーヴアを着た 医者らしいものがやつてくる たびたびこつちをみてゐるやうだ それは一本みちを行くときに ごくありふれたことなのだ 冬にもやつぱりこんなあんばいに くろいイムバネスがやつてきて 本部へはこれでいいんですかと 遠くからことばの浮標をなげつけた でこぼこのゆきみちを 辛うじて咀嚼するといふ風にあるきながら 本部へはこれでいゝんですかと 心細さうにきいたのだ おれはぶつきら棒にああと言つただけなので ちやうどそれだけ大へんかあいさうな気がした けふのはもつと遠くからくる
前半の「あすこ」のくり返し、中段の「ひばり」のくり返し、ひばりの描写は文頭を「o」で揃え、文末を「ゐる」で統一している点など、「パート二」は、まさにラップのように韻を踏んでいると言えるでしょう。
ちなみに「あすこ」は「a-u-o」で「ヤス」もしくは「ヤス子」を意味し、「ひばり」は「i-a-i」で「愛」を含みます。
じつに念入りに韻を踏んでいるという事実は、「パート二」が、恋を記すうえで重要な意味を持つことを物語っています。
あとで改めて詳述しますが、ヤスさんは渡米して3年後の1927年4月13日、シカゴで亡くなります。賢治はそのことを知ったのちに、つぎのような表現を含む心象スケッチを、ノート用紙に認めています。
恋人が雪の夜何べんも 黒いマントをかついで男のふうをして わたくしをたづねてまゐりました そしてもう何もかもすぎてしまったのです
「恋人」は、密かに賢治に会いに来るとき、「黒いマント」を被って、男のふりをしていました。
すると、ここに登場する「くろいインバネス」が男性とは限りません。
重要なので、再度、引用します。
冬にもやつぱりこんなあんばいに くろいイムバネスがやつてきて 本部へはこれでいいんですかと 遠くからことばの浮標をなげつけた
「ことばの浮標(ヴイ)」とは、言うまでもなく「言葉の目印」、「合言葉」と解釈してよいのでしょう。
冬の小岩井農場で、
「本部へは、これでいいんですか」
と遠くから尋ねたのは、ヤス、そのひとであったと、わたしは推測します。
でこぼこのゆきみちを 辛うじて咀嚼するといふ風にあるきながら 本部へはこれでいゝんですかと 心細さうにきいたのだ おれはぶつきら棒にああと言つただけなので ちやうどそれだけ大へんかあいさうな気がした
ヤスを見初めたばかりのころ、賢治はどうやら、冬の小岩井農場にヤスを誘ったようです。
親しくなったばかりの女性を冬の小岩井農場に誘うなんて、虫好きがはじめてのデートで彼女を昆虫採集に連れてゆくようなものです。
相手によっては、ここですっぽかされていても、おかしくはありません。
ところがヤスは、来たのです。
賢治が「見せたい」と言う冬の小岩井農場は、いったいどんなところなのか。
でこぼこの雪道を踏みしめ踏みしめ、遠くから歩いてきたのです。
賢治が、ヤスという女性をこころの底から好きになったのは、あるいはその姿が、きらきらと光る粉雪の向こうに、ぽつりと現れた瞬間だったのかも知れません。

それがヤスの声だ
心象スケッチ「小岩井農場」に与えられた日づけは、1922年(大正11)年5月21日です。
この日、小岩井農場では雨が降らなかったそうで、作中に雨の描写があることから、日づけと実際の天候には、数日のずれがあることが指摘されています。どうやら心象スケッチに添えられた日づけは、いくぶん曖昧さを含んでいるようです。
したがって、賢治とヤスがふたりで冬の小岩井農場を訪れた日にちも、心象スケッチに添えられた日づけをもって特定することはできませんが、少なくとも数日のずれであれば、1月上旬の出来事だったのではないかと思います。
アラジンのランプをとりに
「小岩井農場」の「パート一」には、つぎのように記されています。
ほんたうにこのみちをこの前行くときは 空気がひどく稠密で つめたくそしてあかる過ぎた 今日は七つ森はいちめんの枯草
冬に小岩井を訪れた日は、空気の密度が濃く感じられ、小岩井の南西にある「七つ森」が、明るく見えたようです。
これと符合する記述が見られるのは、『春と修羅』の「序」のつぎ、つまり巻頭に収められた「屈折率」です。
屈折率 七つ森のこつちのひとつが 水の中よりもつと明るく そしてたいへん巨きいのに わたくしはでこぼこ凍つたみちをふみ このでこぼこの雪をふみ 向ふの縮れた亜鉛の雲へ 陰気な郵便脚夫のやうに (またアラツデイン 洋燈とり) 急がなければならないのか
「屈折率」というタイトルは、物質によって光の進む速さが変わり、結果として光が曲がって見える現象を指します。具体的に言うと、空気の屈折率は約1で、水のなかでは1.3となるのだそうで、水のなかでは、物体は1.3倍の大きさに見えるということです。
賢治は、小岩井の近くにある「七つ森」が大きく見えることを、水のなかの物体になぞらえて屈折率という言葉で表しているのです。
また「屈折率」のなかで、
「わたくしはでこぼこ凍つたみちをふみ/このでこぼこの雪をふみ」
とくり返される「でこぼこ」という表現は、「小岩井農場」の「パート二」で、後ろから「くろいインバネス」がやって来るところで、
「でこぼこのゆきみちを/辛うじて咀嚼するといふ風にあるきながら」
と記されることと一致します。
(またアラツデイン 洋燈とり)
との一行は、「アラッディン」と表記すれば「アラジン」と読むのであろうことが分かります。アラジン、そして「洋燈」と言えば、『アラビアン・ナイト』のなかの一話として西洋に紹介された「アラジンと魔法のランプ」が思い浮かびます。
擦ると魔神が現れ、願いを叶えてくれるという魔法のランプ。アラジンはおしまい、国王の娘と結婚します。
ほんとうに、賢治はこの日、魔法のランプをとりに行くようなこころ持ちで、雪道を歩いていたに違いありません。どのような方法で誘ったかは分かりませんが、もしもうまく伝わっていれば、うしろからヤスが歩いてくるかも知れないのです。
「屈折率」に添えられた日づけは、1922年1月6日でした。
冬の日のたいせつな思い出は『春と修羅』の冒頭に
この日の日づけをもつ心象スケッチはもうひとつ、「くらかけの雪」があります。
くらかけの雪 たよりになるのは くらかけつづきの雪ばかり 野はらもはやしも ぽしやぽしやしたり黝んだりして すこしもあてにならないので ほんたうにそんな酵母のふうの 朧ろなふぶきですけれども ほのかなのぞみを送るのは くらかけ山の雪ばかり (ひとつの古風な信仰です)
「くらかけ」とは、小岩井農場の北、岩手山のふもとに位置する「鞍掛山」のことです。
小岩井農場は小岩井駅の北にありますから、小岩井農場を目指すときには、鞍掛山がよい目印になります。
鞍掛山は、そう高くはありませんが長い尾根を持つ山で、その鞍部に積もった雪が、遠くからでも白く見えた、という地元の方の話があります。それがまさしく、「くらかけ」という地名の由来でしょう。
この日は、「酵母」のような吹雪でしたから、鞍掛山の尾根の雪が、いっそう頼りになったでしょう。
そして「小岩井農場」の「パート四」には、
(ゆきがかたくはなかつたやうだ/なぜならそりはゆきをあげた/たしかに酵母のちんでんを/冴えた気流に吹きあげた)
という表現があり、冬に来たときの雪が「酵母」のようであったことが記されます。
「くらかけの雪」に記された、
(ひとつの古風な信仰です)
という1行は、鞍掛山の雪を頼りに歩け、という地域の言い習わしを指しているのでしょう。
あるいは、同じ日づけを持つふたつの心象スケッチの( )に入った1行ずつをとり出して続け、
(またアラツデイン 洋燈とり)
(ひとつの古風な信仰です)
と読むこともできるように、わたしは思います。
この日、冬の小岩井農場にヤスが来てくれるか否かは、賢治にとって、魔法のランプを手に入れられるか否かに匹敵する一大事でした。
もしもヤスが来てくれたら……賢治は魔神の力を借りてでも、彼女と結婚したいと思ったでしょう。
賢治は、ランプに魔神、もしくは精霊が宿るという西洋の伝説を、「古風な信仰」と書いたのではないでしょうか。
このようなわたしの読み解きが当たっているとすれば、『春と修羅』の冒頭に収録された「屈折率」と「くらかけの雪」は、ともに大畠ヤスさんに関連した心象スケッチであると判断できます。
「序」によって指定された真の巻頭は「恋と病熱」でしたが、実際の巻頭もやはり、恋にまつわる心象スケッチだったのです。
雉子という漢字にこめられたもの
俺を見つけたら、「本部へはこれでいいんですか」と声をかけてくれ。
賢治はおそらく、そうヤスに伝言していたのでしょう。
「小岩井農場」の「パート二」に記された、
「本部へはこれでいいんですか」
というせりふは、女性の声で語られたものだったと、わたしは考えます。
そしてそれ以降、「小岩井農場」のなかで回想される冬の小岩井農場では、賢治はひとりではありません。傍らには「くろいインバネス」、すなわち愛しいヤスが、並んで歩いているのです。
「小岩井農場」の「パート四」には、冬の日の思い出がくり返し記されます。
冬にはこゝの凍つた池で こどもらがひどくわらつた (から松はとびいろのすてきな脚です 向ふにひかるのは雲でせうか粉雪でせうか それとも野はらの雪に日が照つてゐるのでせうか 氷滑りをやりながらなにがそんなにをかしいのです おまへさんたちの頬つぺたはまつ赤ですよ)
光る野原を見て無邪気に語り、子どもたちに話しかけるのは、賢治でしょうか、ヤスでしょうか。
ヒントは「パート四」の中段に出てくる「雉子」です。
それから眼をまたあげるなら 灰いろなもの走るもの蛇に似たもの 雉子だ 亜鉛鍍金の雉子なのだ あんまり長い尾をひいてうららかに過ぎれば もう一疋が飛びおりる 山鳥ではない (山鳥ですか? 山で? 夏に?) あるくのははやい 流れてゐる オレンヂいろの日光のなかを 雉子はするするながれてゐる 啼いてゐる それが雉子の声だ
キジが目の前に現れたのは、5月なのか冬なのか、明記はされていません。
しかし、ふいに差し挟まれる、
(山鳥ですか? 山で? 夏に?)
というせりふは、賢治が自問したにしては不自然で、誰かに問いかけられたものと思われます。
それが冬であれば、賢治はひとりではありません。おそらくは会話のなかで、
「以前は山鳥を見たこともありますよ」
などと賢治が言い、それに対してヤスが問いを重ねたのでしょう。
そして賢治は書くのです。
「啼いてゐる/それが雉子の声だ」
ここでキジという鳥の名が、漢字で書かれていることに、わたしは注目します。
「雉」という漢字を分解すると、偏は「矢」で、旁は鳥を表すという「隹」です。読みは、「矢」は言うまでもなく「や」で、「隹」は「すい」でしょう。
つまり「雉」という漢字は、「やす」という音を含んでいます。「雉子」は「やすこ」すなわちヤスを意味するのではないでしょうか。
「それが雉子の声だ」
という1行は、
「それがやすこの声だ」
という意味をあわせ持ち、「小岩井農場」の「パート四」に指し挟まれているせりふが、ヤスの口から発せられたことを暗示しているのではないでしょうか。
そんな子どもの遊びのようなことを、あの賢治がするだろうか、という読者の声が聞こえてきそうです。
けれども、韻に託してヤスの名前を記そうとしていた賢治のことです。ヤスという名前を記せるものなら、たとえ子どもの言葉遊びのようなことでもしただろう、そう、わたしは考えます。
あぶなっかしいセレナーデと雪の日のアイスクリーム
冬の小岩井農場の思い出は続きます。
あのときはきらきらする雪の移動のなかを ひとはあぶなつかしいセレナーデを口笛に吹き 往つたりきたりなんべんしたかわからない (四列の茶いろな落葉松) けれどもあの調子はづれのセレナーデが 風やときどきぱつとたつ雪と どんなによくつりあつてゐたことか それは雪の日のアイスクリームとおなじ
「セレナーデ」は、「夜曲」と訳されることが多いのですが、「女性を称えるために野外で演奏される曲」という意味を持ちます。
ヤスを誘ってはみたものの、ほんとうに来てくれるだろうか、無事に汽車を降りただろうか、道に迷ってはいないだろうかと、賢治は何べんも来た道を戻ってみては、その姿を探したでしょう。
雪の日に小岩井農場に誘うなんて、賢治のセレナーデはほんとうに、「あぶなつかしい」し「調子はずれ」です。
けれども、それでも来てくれたからこそ、ヤスへの愛しさが、いっそう高まったとも言えるでしょう。「雪の日のアイスクリーム」が、ときにとびきり美味しいように。
「アイスクリーム」は、妹トシの死を悼む「永訣の朝」にも出てくる言葉です。そのなかに「愛」という音を含むのは、偶然ではないのでしょう。
「小岩井農場」と「永訣の朝」の両方に、愛を意味するアイスクリームという言葉を入れたのは、ヤスとトシ、ふたりのたいせつな女性に対する、賢治の不器用なまでの平等さに感じます。
妹トシの名は何度でも記すことができますが、恋人ヤスの名をそのまま記すことは決してできません。それでも賢治は、
(トシのことを書いたのと同じだけ、ヤスのことも書いているからな)
と、平等さを強く意識していたように思います。その意識が、「小岩井農場」という長編スケッチを生んだのではないでしょうか。
「小岩井農場」は、恋人ヤスに捧げられた愛の心象スケッチです。
この美しい長編スケッチの存在から、賢治が1924年の春に『春と修羅』を自費出版した動機のひとつは、アメリカに旅立つヤスさんに渡すためであったと、わたしは推測します。
ふたりの恋が暗礁に乗り上げた時期の心象スケッチが空白で、その代わりに新聞に「やまなし」など3つのおはなしを載せたことも、ヤスさんが『春と修羅』を読んだときに、再び悲しむことがないように、という賢治の意志に感じます。

この章の終わりに、「パート九」の後半を、もういちど引用します。
じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと 完全そして永久にどこまでもいつしよに行かうとする この変態を恋愛といふ そしてどこまでもその方向では 決して求め得られないその恋愛の本質的な部分を むりにもごまかし求め得ようとする この傾向を性慾といふ
ここで印象的な2行、「この変態を恋愛といふ」と「この傾向を性慾といふ」の2行は、みごとに韻を踏んでいることを、付記しておきます。
「変態」と「恋愛」は「e-n-a-i」、「傾向」と「性欲」が「e-i-o-u」と、それぞれ母音を同じくしています。このように韻を踏むことは、意図していなければできないでしょう。
ラリツクス ラリツクス いよいよ青く 雲はますます縮れてひかり わたくしはかつきりみちをまがる
最後には悲しい結末を迎えるふたりの恋でしたが、少なくとも5月の小岩井農場で、賢治は確かに、ヤスと生きる決意を固めていたのでした。
賢治はそのことを、誰よりもヤスに対して伝えたかったのでしょう。

なお、こちらの記事は、連載読みもの「宮澤賢治 愛のうた 最終版」からの抜粋です。続きや前段をお読みになりたい方は、こちら ▶ https://kenjilovesong.com/kenjilovesong/ をご覧くださいませ。