太陽系の春~おひさまの子どもフクジュソウ

 ここ、岩手にもフクジュソウが咲きました。

 キンポウゲのなかまらしく、光を反射する花びらを持っています。

 おまけにパラボラの形をしているので、花びらが反射した光は、花の中央部に効率よく集まるものと思われます。

 野原の小さな生きものたちにとって、フクジュソウは、降り注いだ陽光を集めてくれる、かけがえのない存在でしょう。

 枯れ草に、半ば埋もれるようにして点々と花開くさまは、まるで、地面にこぼれ落ちたおひさまの子どものよう。

 この花が咲くと、必ず思い出すのが、宮澤賢治が心象スケッチ「小岩井農場」の「パート四」に記したつぎの1節です。

たのしい太陽系の春だ
みんなはしつたりうたつたり
はねあがつたりするがいい 

 ここは岩手の片すみですが、紛れもなく太陽系の一部で、だからこそ、おひさまの光が降り注いでいるのでした。

 賢治はこうも言います。

たのしい地球の気圏の春だ
みんなうたつたりはしつたり
はねあがつたりするがいい 

 ここは岩手の片すみですが、紛れもなく地球という惑星の一部です。

 目の前の小さな世界から、宇宙という大きな世界へ。

 感覚に知識や想像を組み合わせて、視点を自在に変えることができるのは、わたしたち人間に与えられた大きな力なのだと思います。

 宮澤賢治の言葉とともに自然を見つめていると、それらの力のたいせつさを教えられる気がしてきます。

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 さて、わたしの知る限り、宮澤賢治の作品にはフクジュソウは出てきません。

 しかし、大正時代の岩手は、現在よりも山野草が残されていたでしょうし、古くから園芸植物としても愛されてきたフクジュソウを、賢治が知らなかったとは考えにくいところです。

 賢治はフクジュソウを見ていたけれども、ことさらに作品に記すことはしなかった……。

 そう判断しても、よいのだろうと思います。

 ここからは、あくまでもわたしの想像です。

 もしかしたら賢治は、「福寿」という名前が気に入らなかったのではないでしょうか。

 たとえば「或る農学生の日記」という短編のなかで、賢治はサクラについてつぎのように書いています。

けれどもぼくは桜の花はあんまり好きでない。朝日にすかされたのを木の下から見ると何だか蛙の卵のような気がする。それにすぐ古くさい歌やなんか思い出すしまた歌など詠よむのろのろしたような昔の人を考えるからどうもいやだ。そんなことがなかったら僕はもっと好きだったかも知れない。誰だれも桜が立派だなんて云わなかったら僕はきっと大声でそのきれいさを叫んだかも知れない。僕は却ってたんぽぽの毛のほうを好きだ。夕陽になんか照らされたらいくら立派だか知れない。

「誰も桜が立派だなんて云わなかったら僕はきっと大声でそのきれいさを叫んだかも知れない」という感覚を持っていた宮澤賢治にとって、古くから縁起ものとされ、お正月に飾られたりするフクジュソウについて、サクラと同様な印象を持っていたことは、想像に難くありません。

 福寿草だなんて呼ばれて、昔からみんなに喜ばれていなかったら、僕はきっと、その愛しさを大声で叫んだかも知れない。

 ……と、賢治流に言えばこうなるでしょうか。

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 調べてみると、フクジュソウという名前は、江戸時代の儒学者で本草学者、貝原益軒による『大和本草』(1709年)に出てくるようです。

 貝原益軒によると、江戸時代には「福告げ草」という名前もあったそうですが、あまり語呂がよくないとのことで「福寿」の名が与えられたとか。

 どうもフクジュソウには「福」がついて回るようです。

 そこで開いたのが、わたしがまだエッセイストとして駆け出しだった1990年ごろ、岩手県遠野市の山間にある恩徳という集落に住む三浦徳蔵さんが書いてくださった「植物方言集」でした。

 大正生まれの三浦徳蔵さんは、炭焼きなどの山仕事を続けながら独学で植物を学ばれ、その知識は、たいへん深いものでした。

 自然をテーマにしてエッセイを書いてゆこうと志したわたしに、徳蔵さんが手書きで認めてくださったのが、「植物方言集」だったのです。

 そこに書いてあったのは、つぎのような方言でした。 

イヌノクソバナ(キンポウゲ科)和名フクジュソウ

「ツチマンサク」との方言もある。薬用植物ですが毒性もある。いまはイヌノクソバナの方言はあまり聞かなくなった。

 やれやれ、なんという方言でしょう。

 呆れる方もおられるでしょうが、わたしは逆に、その率直さと的確さがおかしくて、思わず吹き出してしまいました。

 フクジュソウは、雪のしたで蕾を膨らませているので、雪が融けるとまっさきに目につくのが蕾です。

 茶色い鱗片に覆われた丸い蕾が、雪のしたや枯草のあいだに、ころころと姿を現すさまは、まさに……。

 それは、方言を生んだ昔のひとにとって、フクジュソウが、犬の落とし物に例えても平気なほど「ありふれた存在」だったことを物語っています。うっかりすると踏んでしまいそうになるくらい、たくさん生えていたのではないでしょうか。

 ちなみに「ツチマンサク」とは、やはり早春に花を咲かせる樹木マンサクに対して、フクジュソウは地面で咲くことによるのでしょう。「マンサク」とは「まず咲く」が訛ったものとも言われています。

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 賢治が「イヌノクソバナ」という遠野市の山間部の方言を知っていたら、悲しんだでしょうか。

 わたしには、悲しむどころか喜んで、フクジュソウをもっと好きになったに違いないと思われます。

「糞」を卑しむ感覚は、宮澤賢治にはなかったでしょう。

 賢治は花巻農学校の教え子さんたちに、

「果樹園には鶏糞を、田んぼには馬糞を入れろ」

 と言っていたそうです。

 糞は、動物が食べものを摂取している以上は必ず出るもので、植物にとっては、新たに利用可能な肥料成分を含んでいるのです。

 あらゆるものに、存在価値がある。

 そう考えると、自然に無駄なものは一切なく、循環させていけるのだと思います。

 開きかけのフクジュソウを横から見ると、まるで小さな黄色いハスの花のようです。

 ひょっとするとこの花が開くときには、なかから小さな春の精が現れ、あたりの空気に解き放たれてゆくのではないか……。

 あちらでも、こちらでも、小さな花が開き、春の精が飛び出して、北国の春はしだいに、その気配を濃くしてゆくに違いない。

 そんな空想が、こころに生まれました。

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 この記事の内容は新刊『自然をこんなふうに見てごらん 宮澤賢治のことば』(山と渓谷社)の内容とリンクしています。よろしければあわせてご覧くださいませ。

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